繊細な感性と確固たる演奏力によって現在のバンドシーンに柔らかな旋風を巻き起こしつつあるオルタナティヴロックバンド「羊文学」。
彼女たちの楽曲に仄暗く滲み出る悔恨や悲哀、オルタナティヴな美意識に迫るべく、本稿ではファーストアルバム『若者たちへ』に込められたメッセージを解き明かす。
羊文学(ひつじぶんがく)とは
2012年結成のオルタナティヴロックバンド「羊文学」は、卓越した表現力と確実な演奏力によって数多くのフェスやライブに出演し、着実に知名度を高めていった。
2017年には現在の編成になり、初の全国流通CD『トンネルを抜けたら』をはじめとするEP4枚、フルアルバム1枚、配信シングル1枚をリリース。
2020年8月には、独自のアーバンミュージックを醸し出すロックバンド「Suchmos」が設立したレーベル「F.C.L.S」からのメジャーデビューシングルとして『砂漠のきみへ / Girls』をデジタルリリースした。
メンバー全員が20代前半であり、なおかつ現在の編成は今年で3年目であることを考えると、今後の活躍に期待を抱かずにはいられない。
羊文学のメンバーや結成秘話、おすすめ楽曲など
▶︎▶︎▶︎羊文学【繊細と激情、神秘と日常が交わるバンドの魅力と曲紹介】
『若者たちへ』とは
『若者たちへ』は、「ブライテストホープ」と称されるほどに成長著しいスリーピースバンド「羊文学」によるファーストアルバムである。
リリースは2018年7月25日。まさしく学生たちが夏休みに突入し、思い思いに青春を謳歌する時期の発売となった。
そんな刹那的な瞬間に対して、羊文学は何を思い、どのように向き合うか。
本稿では、羊文学ファーストアルバム『若者たちへ』を解析することで、彼女たちが大切に抱える感情を紐解いていく。
※参考:SPACE SHOWER MUSIC
2018年のブライテストホープ、羊文学。
待望のファーストアルバムの詳細とジャケット写真が発表に。
また枝優花監督による映画『少女邂逅』から生まれたYouTubeドラマ『放課後ソーダ日和』の主題歌にアルバム収録曲「ドラマ」、「天気予報」が決定。
▷収録曲
01.エンディング
02.天国
03.絵日記
04.夏のよう
05.ドラマ
06.RED
07.Step
08.コーリング
09.涙の行方
10.若者たち
11.天気予報
▷テーマ
全楽曲の作詞・作曲を担当する塩塚(Vo.Gt.)は当アルバムについて、「テーマは〈夏〉ということ。あと、学生時代がもうすぐ終わるということを強く意識してました。自分の若者時代をちゃんと記録しておきたいし、聴いてくれた人にもその人が若者だった頃を思い出したりしてもらえたらなって」と語る。
戻ることのない夏の日々に思いを馳せ、そこに漂う寂寥感やほろ苦い悔恨をファズギターの音色に乗せて歌い上げる。
当アルバムの前半に収録されている“エンディング”や“夏のよう”、“RED”などは、回顧すると同時にじわじわと滲む悲哀や物寂しさを前面に押し出した楽曲となっている。
羊文学の特徴の一つであるファズギターによる轟音は、私たちの喉奥で疼く激情を吐き出す場所でもある。
青春の渦中で私たちが抱いた悲しみや怒り、不安、焦燥感といった内省的な感情を、鋭敏な歌詞やファズギターの音色によって恐れることなく照らし出す。
そんな楽曲が多く収録されているのが、当アルバムの前半部分だ。
一方で後半部分では、私たちの背中を押してくれるような明るい曲調や包容力のある歌詞が多く見られる。
特に7曲目の“Step”は、以前まで自身の暗い部分を曲に昇華していたという塩塚が「分岐点」と語る楽曲であり、“Step”以降のナンバーは眩い未来に対する渇望や希望に満ちた表現が際立つ。
中でも疾走感溢れるナンバー“コーリング”は、BPMが169と極めて高い。
このスピード感は羊文学の楽曲の中では珍しく、“夏のよう”や“RED”などゆったりとした曲調の中で多情な歌詞を歌い上げる従来の楽曲には見られない、弾けるような解放感を演出している。
人々は、「誰もが回顧し、もう一度戻りたいと切に願う学生時代が終わりを迎えようとしている」という事実に対する絶望感や悲哀にただ打ち拉がれるだけではなく、その先にある未来を見据え、いつかはゆっくりと歩み出さなければならない。
これこそが、羊文学が当アルバムを通して「若者たちへ」伝えたいメッセージなのだ。
新天地で物寂しさを抱えている人や、新社会人として春を迎えようとしている人に、是非とも一聴していただきたいアルバムだ。
※参考:羊文学『若者たちへ』インタビュー 青春時代が終わる。その瞬間、鳴らされる音
▷曲の解説
本章では、羊文学のファーストアルバム「若者たちへ」の収録曲を、塩塚による解釈を踏まえつつ簡要に解説する。
1.エンディング
ヘッド曲とは思えない、まさしく「エンディング」に相応しい一曲。
すべての終わりを望む「わたし」は、大きく膨れ上がった諦念や息苦しさを悲痛を交えて吐き出す。
零れるようなギターの音色が響くイントロから一転、サビでは「わたし」の激情を轟音によって表現する。
─「“エンディング”はライブでもよく1曲目でやってるし、ドラムの音からアルバムが始まるのもいいんじゃないかなって。単純に〈エンディングで始まる〉というのもいいなと思ったし、自分が生きてきた時間を一度ストップさせて、ここからアルバムの世界に入ってもらえたらいいな、みたいなことも考えてましたね。“エンディング”ですけど、ちょっとプロローグみたいな意味合いというか」(塩塚)
(引用:羊文学『若者たちへ』インタビュー 青春時代が終わる。その瞬間、鳴らされる音)
2.天国
「そっちはどう?」と親しげに語りかける歌詞や大サビの後ろでざわめく喋り声からは、天国にいる人間に対する哀悼は何処へやら、まるで電話口で近況報告をし合う学生のような軽快さが感じられる。
語尾を跳ね上げる歌い方や、軽やかなギターのカッティングなども相まって、情動的な曲調が光る前半部分の楽曲の中では珍しく底抜けに明るいナンバーとなっている。
─「“天国”はけっこう遊びどころだと思っていて、自主制作盤に入れた時も、新宿駅の改札前でサンプリングした音を使ってたんです。たとえば高木正勝さんみたいな、いろんな音を重ねた音楽も私は大好きなので、そういう録音でしかできないこともやりたいなって」(塩塚)
(引用:羊文学『若者たちへ』インタビュー 青春時代が終わる。その瞬間、鳴らされる音)
3.絵日記
まさに夏の夕暮れに描き殴った「絵日記」の如く刹那的なナンバー。
少し目を離した隙に溶けてしまうアイスクリームのように、友人と走り回ったあの夏の日は二度と戻らない。
序盤こそエネルギッシュで疾走感のある曲調だが、終盤ではかつての日々を懐古する「わたし」に寄り添うゆったりとしたリズムに変わる。
─「(変拍子に関して)一曲のなかでいろんなことが起きるところが、ちょっといいなと思って。そういうのもあって、高校の頃につくってた曲は途中で拍子が変わったり、ゆっくりした曲のBPMがいきなり上がったりするのがけっこう多いんです」(塩塚)
(引用:羊文学『若者たちへ』インタビュー 青春時代が終わる。その瞬間、鳴らされる音)
4.夏のよう
あまりに情景的な一曲。
沈みゆく夕日と、二度と戻らない夏の日に思いを馳せる「僕」の横顔までもが、ありありと目に浮かぶ。
サビにて美しく響く塩塚の裏声は、夏の快晴に溶け込んでしまいそうな物悲しさを孕む。
それを優しく支える河西ゆりか(Ba.)のコーラスとの重なり合いは、息を呑むほどに美しい。
5.ドラマ
若者が抱える未来への不安や胸の内に秘める激情を鮮烈に描いた一曲である。
「青春時代が終われば 私たち、生きている意味が無いわ」「私たち、帰る場所なんて無いわ」といった、強い自棄や諦念を孕んだ歌詞を軽快なベースラインと乾いたスネアの音に乗せて歌い上げる。
大サビにて、塩塚の声の後ろで張り裂けんばかりに轟くデスヴォイスが特徴的。
日々に絶え間なく流れ込む時間を、タイムラプスによって刹那的に描いたMVも必見だ。
6.RED
冒頭からサイレンのようなファズギターの音色が響く。
訴えかけるような歌詞は、恋人を心から愛しているが故に目の前の幸せを信じきれずにいる「僕」の苦しさを描き出す。
この楽曲も“ドラマ”と同様、私たちが嚥下出来ずにいる苦しさや切なさを描いている。
轟音が渦を巻くアウトロにて、消え入るように呟かれる「行かないで」という言葉は、様々な感情がせめぎ合う胸中から溢れ出た「僕」の素顔を苦しいほどに照らし出す。
7.Step
脱退したメンバーに対する気持ちを原動力として制作されたこの曲からは、新たな場所へと一歩を踏み出す「きみ」と、その背中を押す「わたし」の対照的な姿が窺える。
負の感情を鮮烈に歌い上げる当アルバム前半の楽曲からは一転、“Step”は人の心にそっと寄り添うような包容力を持つ。
リバーブのかかったギターは時々揺らめきながらも淡々と刻まれ、それに沿った形で低音のベースラインと乾いたスネアの音が響く。
間奏からCメロにかけては突如としてファズギターによる轟音が響く。
「きみ」の背中を押す自分と、引き留めたい自分とのせめぎ合い。
無情にも流れる時間。
少女が大人になるまでの「揺らぎ」を見事に表現した一曲だ。
8.コーリング
個人的に当アルバムで最も好きなナンバー。
疾走感溢れるドラムに、力強いベース、そしてその上をギターが駆け抜ける。
羊文学には珍しい、基本的な邦楽ロックサウンドに近い曲構成となってはいるが、注目すべきは私たちの感情のうねりに寄り添うような強弱表現と、決意漲る歌詞である。
自分の未熟さを自覚したまま、前に進むことの恐ろしさ。
それでも自分に「決めたんだ」「ゆくよ」と何度も言い聞かせ、走り出す。
躊躇と覚悟が交差する「僕」の背中を、軽やかに押す。
それがこの“コーリング”の役目であり、羊文学が私たちに伝えたいメッセージなのだ。
9.涙の行方
軽快かつ輪郭の丸いサウンドと共に、「思い出や生き様までもが、色褪せて忘れ去られていくんだ」という物寂しさが伸びやかに歌い上げられる。
いずれ消え行くすべてのものに対して、私たちが抱いた感情や流した涙はこれから何処へ向かうのか。
願うことなら、明日のあなたが笑う理由になれば良い。
自分の無力さを嘆きながらも、すべてを包み込むような優しさと共に「わたし」は願う。
ささやかではあるが力強い芯を持つ歌詞は、漠然とした不安を抱える私たちにそっと毛布をかけてくれるような暖かさを生み出す。
10.若者たち
8分に渡る長曲は、私たちの心の奥底に寄り添い続ける。
ゆったりと響くドラムにどこまでも優しいギター、そして全体を包み込むようなベースの低音が、繊細に聴こえつつも揺るがない根幹を持つサウンドを作り上げる。
曲中でも目を引く「いつの日もあなたを守るよ」という歌詞はサビにて二回繰り返されるが、一度目は音数が極めて少ない中で、まるで母親がそばで眠る赤子に呟くような優しさを伴って口ずさまれる。
二度目は大サビにて、力強いバンドサウンドと伸びやかな塩塚の歌声によって歌い上げられる。
愛や自分の存在について考えるこの8分間の中でも、「僕」の「あなた」に対する愛情は留まるところを知らずに溢れ続けるのだ。
11.天気予報
映画『少女邂逅』のアナザーストーリーであるWEBドラマ『放課後ソーダ日和』の主題歌としても名を馳せる楽曲。
冒頭の零れ落ちるようなギターフレーズは雨を、サビに行くにつれて解放的になる音色は曇りのち晴れを、Cメロのファズギターは嵐を想起させる。
しかし、彼女たちが表現したいのは単なる天気予報ではない。
このアルバムを通して、私たちは「戻ることのない日々を渇欲する絶望感」を味わい、「未来に希望を見出すことの大切さ」を学んだ。
『若者たちへ』の最後を飾るこの曲は、そんな私たちに「どんな未来を描きたいか」を問いかけてくる。
曲中で登場する「未来予想」は天気予報以上に簡単に外れる上に、想像と異なる未来へ向かう際の悲しさや悔しさは計り知れない。
だが、そこで立ち止まり過去を渇望してしまっては、前に進むことはできない。
だからこそ羊文学は「嬉しいときも悲しいときも全部受け入れるかい?」と問いかけてくるのだ。
情動に飲まれていても、とにかく足を前に出す。前を見据える。
先人たちが行ってきたように、私たちも未来を運ばなくてはならないのだ。
まとめ
モラトリアムを謳歌する人々の羽化。
私は『若者たちへ』を聴いて、そういった印象を受けた。
未だに大学生として責任も義務も曖昧ないわゆる「執行猶予期間」を楽しんでいる身としては些か説教のように聴こえる部分もあったが、それほどまでに私の心の根底に触れるような表現が多かった。
過去を懐古することで繭に包まれるのはもうやめよう。
希望が灯る未来を運ぶのは、他の誰でもない私たちなのだから。
目的もなくただ揺蕩っていた私に、ささやかな義務を与えてくれたのはこのアルバムだった。
恐れることなく人の心の根底に迫り、傷一つ付けずに優しく触れる羊文学は、いつだって私たちが向かうべき道を明るく照らしてくれるのだ。