繊細な感性と確固たる演奏力によって現在のバンドシーンに柔らかな旋風を巻き起こしつつあるオルタナティヴロックバンド「羊文学」。
単なる「愛」「優しさ」「幸せ」に留まらない、彼女たちの鋭敏な表現力に迫るべく、本稿では3rd EP『きらめき』に散りばめられた情動的な描写を紐解く。
羊文学(ひつじぶんがく)とは
2012年結成のオルタナティヴロックバンド「羊文学」は、卓越した表現力と確実な演奏力によって数多くのフェスやライブに出演し、着実に知名度を高めていった。
2017年には現在の編成になり、初の全国流通CD『トンネルを抜けたら』をはじめとするEP4枚、フルアルバム1枚、配信シングル1枚をリリース。
2020年8月には、独自のアーバンミュージックを醸し出すロックバンド「Suchmos」が設立したレーベル「F.C.L.S」からのメジャーデビューシングルとして『砂漠のきみへ / Girls』をデジタルリリースした。
メンバー全員が20代前半であり、なおかつ現在の編成は今年で3年目であることを考えると、今後の活躍に期待を抱かずにはいられない。
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『きらめき』とは
デジタル限定クリスマスシングル『1999』のスマッシュヒットを受け、待望の新曲群として2019年7月にリリースされた『きらめき』は、『トンネルを抜けたら』『オレンジチョコレートハウスまでの道のり』に続く羊文学の3rd EPである。
思春期に沸き立つ仄暗い感情や刹那的な青春時代を偲んだ前作『若者たちへ』からは一転、ガーリーでフレッシュなナンバーが詰まった本作だが、羊文学特有の情動的な歌詞やどこか攻撃的な表情を見せる旋律は健在だ。
「愛」や「優しさ」に触れるとき、少女は何を思うのか。
多幸感の中に一握りの剣呑さを孕んだ当作品を通して、羊文学が掲げる「幸せ」の姿を探る。
収録曲
01.あたらしいわたし
02.ロマンス
03.ソーダ水
04.ミルク
05.優しさについて
テーマ
全楽曲の作詞・作曲を担当する塩塚(Vo.Gt.)は、当アルバムを「“女の子”というテーマで音を鳴らすことを通じて本当の自分を認めることに挑んだ新作」であると語る。
エフェクターを介さない生音による録音や、塩塚の繊細な歌声を優しく包み込むような演奏は、いじらしくも華やかな少女の姿を連想させる。
今回の収録曲は、鬱屈とした思い出や二度と戻らない青春時代を照らし出すような従来の楽曲とは全く異なるテーマのもとで作成されたと言えるだろう。
ベースやドラムも「優しさ」を意識した音作りとなっており、ゆりか(Ba.)とフクダヒロア(Dr.)の演奏からは塩塚のボーカルを際立たせる柔らかい雰囲気が窺える。
手当たり次第に威嚇する反抗期の少女のような刺々しさが際立つ従来のスタイルを経て、「愛」や「優しさ」といった暖かい感情にスポットライトを当てた楽曲が新たに生まれたという点には、羊文学のメンバーそれぞれが歳を重ね、広い視野を持てるようになった「余裕」が表れているのではないだろうか。
しかし忘れてはならないのは、彼女たちが描写する感情は単なる「愛」や「優しさ」に留まらないという点だ。
「愛」を感じる傍らで膨れ上がる「苦しさ」や「寂しさ」。
人に「優しく」するために生じる自己犠牲。
各楽曲に登場する少女たちは、このような感情の二面性に振り回されつつも、総じて「幸せ」になりたいと心から願っている。
そんな彼女たちに羊文学が与える「幸せ」のかたちとはどんなものか。
それこそが当作品が私たちに投げかける質問であり、私たちが考えるべきテーマであるように感じられる。
曲の解説
本章では、羊文学の3rd EP『きらめき』の収録曲について、塩塚の解釈に基づいた筆者の感想や考察を交えつつ解説する。
1.あたらしいわたし
化粧品のCM曲として制作されたという当楽曲は、カントリー風の軽快な曲調と開放的な塩塚のボーカルが特徴的である。
「〈あたらしいあなた〉や、〈本当の自分〉がどんな姿であろうと良い。あなたでいることが大切なのだから」という歌詞は、新たに踏み出そうとする「あなた」の背中を軽やかに押す。
眩い朝日に目を細め、爽やかな風が全身を吹き抜ける時、私たちは新しく生まれ変わるチャンスを手にしているのかもしれない。
また、塩塚は当楽曲について「“あたらしいわたし”はちょっと人気を出したと思って作りました。(このバンドで人気になりたいかという質問に対して)日によります。やっぱりそこじゃないかなって思ったりするけど、いつか武道館2日間即完させたいって思う日もあるし。」と語る。
つまり、羊文学というバンドが「あたらしいわたし」に対して抱く感情こそが、当楽曲を生み出す原動力となっていたことが分かる。
「武道館に立っているわたし」や「バンドとして人気を博するわたし」に向けた羨望や期待。
夢に向かう自分自身を鼓舞する楽曲として書き上げられた当楽曲は、しなやかな力強さをも秘めている。
(引用:https://mag.digle.tokyo/interview/topics/39215/3)
2.ロマンス
イントロの弾むようなギターリフが際立つこの曲は、「想い人を追いかける女の子の一夏」を描いたポップなナンバー…と思いきや、実はストーカーの女の子の心情を歌い上げたものだったりする(塩塚のTwitterより)。
「女の子はいつだって無敵だよ」という歌詞は、「自分を無敵だと思っていない女の子の自信の無さ」を表したフレーズだと塩塚は語る。
気丈に振る舞う女の子が内に秘める不安と狂気。
荒々しいファズギターや高音と低音を行き交うベース、突如として激しくなるドラムが飛び交う間奏からは、「女の子」という存在の不安定さが激情を生み出す瞬間が垣間見える。
エモーショナルで夏めいた色合いとサビの可愛らしいダンスが特徴的なMVでさえも、徐々に女の子の恋慕に隠された狂気が浮き彫りとなるストーリーとなっている。
また、冒頭の特徴的かつ単純なギターリフには、塩塚の「シンプルなロック」への憧れが表れているという。
―「(なぜシンプルなロックに憧れるのかという質問に対して)単純にカッコいいと思うから。たぶん今までの羊文学の音は、90年代のオルタナっぽいて思われていたと思うんですけど、リヴァーブも控え目にしてもっと遡った70年代みたいなものをやってみたいです。」
(引用:https://mag.digle.tokyo/interview/topics/39215/3)
3.ソーダ水
「あたらしいわたし」「ロマンス」からは一変して、輪郭のぼやけたサウンドにエンジェリックな塩塚のボーカルが響く従来の羊文学らしい楽曲となっている。
ゆったりとしていながら極めて繊細なドラムに、優しく滑らかなベースライン、そしてどこか寂しく響くギターが折り重なって作り出される情景は、まさしく「ソーダ水」のようにどこまでも透き通っている。
静かな水面を這う細波は、いつしか「悲しみ」として「僕らの部屋」である小舟を揺らす。
6分48秒に渡る長曲ということを忘れるほどに引き込まれる世界観と、言葉にならない感情の機微をありありと描き出す演奏力が魅力的なナンバーだ。
4.ミルク
乾いたスネアが時計の針のように淡々と刻まれ、張りのあるギターの音色が響くサウンドに、「夕方」と揺らめきながら半音ずつ上がる塩塚のボーカル。
このイントロだけで、私たちは刻々と過ぎゆく夕暮れ時に涙を堪える「あなた」の姿を思い浮かべることが出来る。
「僕」は、いつか終わりが来ると分かっていながら「あなた」との意味のない毎日を積み重ね、そこにささやかな幸せを見出していた。
「あなたは間違った恋をしている」という歌詞は、かつての幸せな日々は永遠に続くものだと信じて止まなかった「あなた」に対して、「幸せな日々が確かに存在していたという事実があればそれでいい」と諭す「僕」の姿を映し出しているようにも思える。
音数が少なく歌詞も極めてリリカルであるにもかかわらず、聴き手の思い浮かべる情景をここまで膨らますことが出来るのは、羊文学の大きな魅力の一つであると言えるだろう。
5.優しさについて
零れる滴のようなギターの音色は、曲名にもあるようにとても「優しい」。
4分という曲の長さとは裏腹に歌詞は端的で短く、極めてリリシズム的な表現が散りばめられている。
「話を聞いて優しさというなら わたしの強さを壊すのやめて」という歌詞には、話を聞くことで胸中の感情に触れようとする「あなた」に対する呆れや、「強さ」という鎧が決壊し溢れんばかりに渦巻く感情を抑えようと必死になる「わたし」の焦燥感が立ちこめているようにも感じられる。
曲の終盤で切なく響く塩塚の高音は、揺らめきながらもどこか子守唄のような安心感を伴っている。
傷ついた心を守るためにも、今はもう眠りにつこう。
様々な「愛」の描写にスポットライトを当てた当作品が行き着くエンディングとして、とてもふさわしいナンバーであるように思う。
まとめ
「恋という狂気こそは まさにこよなき幸のために神々から授けられる」
―プラトンの著書『パイドロス』より
『きらめき』に登場する少女たちは、皆がそれぞれに異なる「幸せ」を願っている。
あたらしいわたしとして羽ばたく「幸せ」。
一世一代の恋のために奔走する「幸せ」。
本当の気持ちを打ち明け、一緒に笑い合う「幸せ」。
かつての日々を思い出として大切に仕舞う「幸せ」。
そして、自分に優しくあるという「幸せ」。
健気でありながら仄暗い感情を垣間見せる彼女たちの姿は、どこか狂気めいた愛らしさを秘めている。
背反する感情の狭間でもがく彼女たちが夢見る「幸せ」のかたちは少し歪で、ささやかだ。
単なる恋愛ソングとして聴くにはあまりにも惜しい、複雑な感情模様が巧みに描き出された良作『きらめき』。
是非、一聴してみてはいかがだろうか。