「羊文学」は、繊細な感性と確固たる演奏力によって現在のバンドシーンに柔らかな旋風を巻き起こしつつあるオルタナティヴロックバンドである。
その神秘的かつ情動的なサウンドは多くの若者の心を打ち、今では20代を中心に強い人気を誇るバンドとして名が挙がる。
中でも「羊文学」の楽曲は、時には愛らしい少女に、時には思春期の激情に姿を変えつつ、私たちの心に触れる。
しかし、その真髄には「羊文学」の緻密で鋭敏な美意識が確立している。
本稿では「羊文学」の4the EPである『ざわめき』にスポットライトを当てることで、等身大の「羊文学」の姿に迫る。
羊文学(ひつじぶんがく)とは
2012年結成のオルタナティヴロックバンド「羊文学」は、卓越した表現力と確実な演奏力によって数多くのフェスやライブに出演し、着実に知名度を高めていった。
2017年には現在の編成になり、初の全国流通CD『トンネルを抜けたら』をはじめとするEP4枚、フルアルバム2枚、配信シングル1枚をリリースしている。
最近では2020年8月にロックバンド「Suchmos」が設立したレーベル「F.C.L.S」からのメジャーデビューシングルとして『砂漠のきみへ/Girls』をデジタルリリース、同年12月にメジャーデビュー1stアルバムとなる『POWERS』をリリースした。
メンバー全員が20代前半であり、なおかつ現在の編成は今年で4年目であることを考えると、今後の活躍に期待を抱かずにはいられない。
羊文学のメンバーや結成秘話、おすすめ楽曲など
▶︎▶︎▶︎羊文学【繊細と激情、神秘と日常が交わるバンドの魅力と曲紹介】
https://submora-mikata.com/2020/12/02/hitsujibungaku-band/
羊文学のファーストアルバム『若者たちへ』の解説はこちら
▶︎▶︎▶︎羊文学【ファーストアルバム『若者たちへ』が描く悲哀と希望】
https://submora-mikata.com/2021/01/05/hitsujibungaku-wakamonotachihe/
羊文学の3rd EP『きらめき』の解説はこちら
▶︎▶︎▶︎羊文学【『きらめき』が描き出す幸せのかたち】
https://submora-mikata.com/2021/01/20/hitsujibungaku-kirameki/
『ざわめき』とは
オルタナティヴ・ロックを根幹とし、シューゲイザーを始めとする多様なロックサウンドを用いることで情動的な世界観を作り出すスリーピースバンド、羊文学。
前作『きらめき』と対を成す存在として制作された4th EP『ざわめき』は、羊文学というバンドの現在地を示す新たな指標となった。
当作品について塩塚(Vo.Gt.)は「〈素直な私たち〉を思い切って表現した」と語っているが、フレッシュでポップなナンバーが詰まった前作『きらめき』からは一転、いかにも羊文学らしい鋭敏な感性や繊細な表現力が際立つ作品となっている。
特に当EPの4曲目に収録されている「祈り」は、オルタナティブで儚げなメロディラインやファズギターが轟くアウトロなど、羊文学特有の神秘的な世界観がありありと映し出されたナンバーだ。
作詞・作曲を手掛ける塩塚のバックグラウンドやナイーブな心情が緻密に絡み合い、等身大の羊文学を浮き彫りにする『ざわめき』。
当作品が内包するテーマや収録曲に秘められた思いを解き明かすことで、羊文学というバンドの真髄に迫る。
※参考:FUDGE.jp
《羊文学》にインタビュー!思い切って”素直な私たち”を表現した『ざわめき』
【火曜日のプレイリスト】(https://fudge.jp/culture_life/playlist/53687)
収録曲
01.人間だった
02.サイレン
03.夕凪
04.祈り
05.恋なんて
テーマ
前作『きらめき』では「“女の子”というテーマで音を鳴らすことを通じて本当の自分を認めることに挑んだ」と塩塚は語る。
他方で今作『ざわめき』では、「みんなダメでも大丈夫だぜ」という軽快な「許し」の感覚が散りばめられていると言う。
つまり、当作品には、「本当の自分がいくらみっともないものであっても、〈このままでいい〉という〈許し〉によって本当の自分に向き合い、その存在を認めていくべきだ」というメッセージが込められているのだ。
『きらめき』とアプローチこそ違うものの、「本当の自分を認めたい」というささやかな願いに焦点を当てているという部分で両作品は共通している。
また、このメッセージは塩塚自身が中高学生時代に受けていたキリスト教教育の影響を強く受けていると言えるだろう。
そもそもキリスト教において、「許し(赦し)」という考え方は非常に重要だ。生涯を通して「罪」との向き合い方を学ぶキリスト教では、私情や利害関係が絡み合う人間が互いに「許し合う」ことは不可能に近いと考えられている。
「罪」が存在する限り「断罪」という行為が発生し、人間の多くはそこで怨みや怒りを抱いてしまうからだ。
理性の伴わない「許し」は「真の許し」ではないとイエスは説く。
「真の許し」とは神によってのみ達成される。
すなわち、「すべての人間を無条件に許す」という超越的な行為である。
この「真の許し」こそ人々が無意識に求める心の安寧であり、忙しなく生きる現代人に必要な考え方なのではないだろうか。
この「真の許し」を求める感覚を、塩塚は音楽によって表現しようと考えたのだろう。
「許し」を求めることこそ「生きる」ということであり、今の自分を認めるということに繋がる。
この感覚を、塩塚は『ざわめき』を通して私たちに伝えたいのかもしれない。
曲の解説
本章では、羊文学の4th EP『ざわめき』の収録曲について、作詞・作曲を手掛ける塩塚の解釈を元に、筆者の感想や考察を交えつつ解説する。
1.人間だった
語りかけるようなギターと共に紡がれる歌詞は、先端技術や科学によって「神」になろうとする人間を優しく説き伏せる。
倫理と進歩の鬩ぎ合いを俯瞰する中で、私たちは「人間である」ということを忘れがちだ。
繰り返される環境汚染や技術の濫用は、人々が「人間」という立場を忘れるがために起こる悲劇であり、私たちは決して「神」には慣れないという戒めにもなる。
「ああ、いま飛べ 飛べないなら 神様じゃないと思い出してよ」「風を切る奇跡 思い出してよ」という歌詞は、「空は飛べないが、地を蹴って駆け出すことはできる。だからこそ私たちは人間なのだ」という柔らかな自戒を含んでいる。
歌詞からも分かるように、この曲は極めて社会的なメッセージを内包していると言えるだろう。
しかし、作詞を手掛けた塩塚は、こう語る。
―「この曲は社会的なメッセージを訴えようと思って作ったわけじゃなくて。普通に生きているなかで、〈あれ?〉って思ったことを曲にしないとって思ったんです。そういう点では、〈人間だった〉も〈恋なんて〉も変わらなくて。受け取る側の人たちにも、そういうふうに思ってもらえればいいなって思います」
(引用:https://fudge.jp/culture_life/playlist/53687/)
社会も恋愛も、同じ尺度で考えるべき人間の「永久のテーマ」だ。
だからこそ、『ざわめき』の中で両者を同等に扱い、音源に昇華させることで、「疑問に思ったことであればなんでも積極的に考えてみることが大事だ」ということを表現したのだろう。
社会を無闇に糾弾するのではなく、あくまで自分という人間の知的欲求に正直になるべきだと説く。
等身大の羊文学の「哲学」に触れることができるナンバーである。
―「戦争をしない」とか「差別をしない」とかって、本当は言うほどのことでもないというか、当たり前のことで、全然特別なことじゃないと思うんです。なので、“人間だった”みたいな曲と、“恋なんて”みたいな日常的な男女の別れの曲が横並びになっているのは、大切なことだと思っています。(塩塚)」
(引用:https://www.cinra.net/interview/202002-hitsujibungaku_ymmts)
また、「人間」としての活動にしがらみとして絡み付く邪念や欲求から解放され、いかにも人間らしく駆け出す様子を巧みに表現したMVも必見だ。
2.サイレン
Aメロでは淡々としたベースラインやドラム、溢れるようなアルペジオが響き、サイレンの騒々しさとはかけ離れた深い静寂が感じられる。
しかし、「さよならだ」という歌詞と共に曲調は一変、リズミカルなギターと共に情景的な歌詞が力強く歌い上げられる。
曲中にて綴られる「別れを惜しむ抱き合う恋人たち」「駅のホームでうずくまる人」などといった光景は、おそらく遠くへ行こうと駆け出した「私」の目尻で微かに捉えられたものなのだろう。
「響くハイヒールの音」「揺れるスカート」などといった歌詞からも、すべてのしがらみを振り切って走る「私」の姿が窺える。
「警戒音」として人々に緊迫感を与える役割を持つサイレンは、本来、ギリシャ神話において人々を誘う美声を持つ精霊「セイレーン」を語源とする。
曲中でも同様に、サイレンは「警戒音」ではなく、「私」を自由へと誘う「セイレーン」のような存在として描かれていると言えるだろう。
3.夕凪
映画監督とミュージシャンのコラボレーション「MOOSIC LAB 2019」にて公開された常間地裕監督×羊文学の映画『ゆうなぎ』の主題歌としても有名なこの楽曲は、軽快だがどこか閑寂を伴うギターリフや、立体的に響くコーラスと共に始まる。
そもそも「夕凪」とは、「夕方、海岸地帯で、海風と陸風が入れかわる間のいっとき風がやみ、波も穏やかな状態になること(Weblio古語辞典参照)」を指す。
曲中にも「星のめぐりが導く意味も気づけば忘れ」「愛する人の名前の船も帆をうなだれて」「音もない海」など夕凪を表した情景的な歌詞が見られ、リバーブによって揺らめくギターや乾いたスネアの音なども相まって、夕暮れの海に途方もなく広がる寂寞が感じられる。
しかし、当楽曲において「夕凪」とは物悲しい存在に留まらない。
暖かみのある美声によって歌い上げられる「何もないような明日を待っているだけの あなたがいるような今がとても幸せ」という歌詞は、黄昏時の海原に染み渡る静けさにささやかな幸せを見出している。
旅人たちはその道すがら、すれ違いや挫折によって打ち拉がれ、風が止むと共に広大な海の中に取り残されてしまうこともあるだろう。
これは日々を懸命に生きる私たちと同じだ。
だが、風は必ずまた吹く。
だからこそ、今はこの寂寞の中でゆったりと時が流れるのを待とう、という暖かい優しさが感じられる曲だ。
心が疲れている時や、先が見えなくなった時などに是非聴いてみてほしい。
4.祈り
冒頭でも紹介したように、「祈り」は『ざわめき』の中でも特に羊文学の「原点」に近い楽曲であると言える。
ザラついたファズギター、理性的で淡々としたドラムやベースライン、エンジェリックなボーカル。
これら3つがちょうど良いバランスで響き合うことで、重力を感じさせないような羊文学特有の「神秘的空間」が出来上がる。
曲の後半では曲調がだんだんと激しくなっていき、アウトロではサイレンのように轟くギターに呼応するようにしてドラムやギターも昂りを見せる。
3人の音色は最後には圧倒的な轟音へと変貌し、歌劇のような壮大なエンディングを迎える。
「祈り」の曲構成について、メンバーはこう語る。
―「〈祈り〉はテンション低めだけど、内側からわきあがってくるようなエモーショナルさがあって、最後には爆音になる。オルタナ要素もあって個人的には好きな曲ですね(フクダ)」(引用:https://fudge.jp/culture_life/playlist/53687/)
―「バンド・サウンドの影響もあるんですけど、この曲を書いた時、〈音楽でやっていけるのかな?〉って悩んでいたんですよ。だから、歌詞の最後は〈夢を見ていた〉っていう過去形で終わっているんですけど、歌っているとその時の気持ちが甦ってくるんですよね(塩塚)」(引用:https://fudge.jp/culture_life/playlist/53687/)
感情に沿ってうねる曲調やボーカルは、私たちの心の底に優しく触れる。
同時に、制作側である羊文学のメンバーにも寄り添うような包括力を持っている。
塩塚が夜通し泣いていた時にインスピレーションを得たという「祈り」。
すべての人々は、泣く権利や祈る権利を平等に持っている。
「祈り」をはじめとする羊文学の楽曲は、喉元で膨れ上がる苦しさや辛さを「許す」ことで、それを吐き出す場所を作ろうとする。
そしてそれは、彼女たち自身にとっても同じことなのだ。
自身のナイーヴな感情にあえて焦点を当てることで、「私たちにも君たちにもダメな部分はあるけど、それで良い」と自他を認めることができるのだろう。
羊文学が掲げるこのスタンスに救われる人も多いのではないだろうか。
(参考:https://fudge.jp/culture_life/playlist/53687/)
5.恋なんて
羊文学としては珍しく「恋」を題材とした当楽曲は、『ざわめき』の中でも特に人気の高いナンバーとなっている。
恋に対する苦悩が浮き出たような音階のアルペジオや、疾走感のあるメロディー、共感度の高い歌詞などが特徴的だ。
中でも、サビの始まりで力強く歌い上げられる「恋なんて下らないことで傷つくもんなんだ」という歌詞には、多くの人が首を縦に振らざるを得ないのではないだろうか。
歌詞に着目すると、恋愛ソングに見られる直接的な表現を用いず、日常会話に近いような素朴なセリフや情景描写を散りばめることで、極めてリアルな「恋の終わり」を描き出していることが分かる。
特に1番Aメロの「君の歯ブラシを捨てたよ」「Tシャツもゴミ箱に放り投げたけど」といった歌詞からは、「僕」が努めて理性的に状況理解をしようとしている姿が想像できる。
しかし、続く「外したし、しばらくとっておこうか」「君に、怒られちゃたまんないし」という歌詞からは、未だに「恋の終わり」を実感できず現実逃避に走ろうとする「僕」のやるせなさが窺えるだろう。
具体的な情景描写や、感傷的になりすぎない心情描写によって、恋愛という曖昧なテーマを輪郭のはっきりとした世界観に落とし込んでいるのだ。
そのため、聞き手である私たちは、よりリアルな「恋の終わり」を肌身に感じることが出来るのである。
「等身大の恋愛ソング」とは、このような曲のことを指すのではないだろうか。
まとめ
人々の心に寄り添い、ささやかな光を与えてくれるような楽曲を多く生み出す羊文学。
しかし、彼女たち自身もまた、羊文学の音楽に救われていた。彼女たちの等身大の感性が散りばめられた『ざわめき』は、羊文学がこれから歩んでいく中でとても大切な「目印」になったと言えるだろう。
どこか足りない部分を抱えつつも、懸命に足を出して歩み続ける。
それが等身大の羊文学の姿だ。
私たちはそこに自分の姿を重ね、ささやかな勇気を貰って生きていく。
互いに「許し」、認め合うという関係性が、音楽を通して広がっていくのだ。